デカダンス

日記のような、短編のような、詩のような、俺

咲いたばかりの枯れた花、Palevein

 太陽さんが死んでしまったんじゃないかってぐらい寒くなって、手足が本当にかじかむようになった。冗談抜きで、今年も冬が来たんだな。そして、冷たい風に乗って、枯葉と一緒に、去年の錆付いた思い出がどこからか飛んで来た。笹尾くん以外、誰も見ていなかった頃のボロボロの日記、デカダンス鬱冬編を読み返してみたくなった。

 

 去年の冬は、心身ともに本当に散々だった。高熱を発症して、幻覚に襲われたり、派遣先で知らないおばさんに、戦争捕虜のようにこき使われ、怒られ、休憩所でコンビニのおにぎりをかじっていたら、無性に泣きたくなったり、昼間から何度自分を汚しても、何も満たされなくて、手当たり次第色んなことにムカついていたら、いつの間にか、何に対してもやる気が起きなくなった。オナニーをする元気さえなくて、寂しい寂しいって言うことも出来なくなって、壊れた機械人形のようにずっとシロップの曲を聞いていた。懐かしい、と同時に、思い出すとちょっとだけ暗い気持ちになる。

 

 まぁそんな話はどうでもいいんだ。今日は、Paleveinってバンドを紹介しようと思う。できるだけ爆音で聴いて欲しい、咲いたばかりの枯れた花、ペイルベイン。

 

youtu.be

 

 何を隠そう、このレッチリのティシャツを着て、ギターを弾きながらかすれた文字を叫んでいるのは、このブログで度々登場している、カニちゃん、本名、ヨシムラハルキ。Fラン大学を半年もしないうちに中退し、ブロンと煙草を片手に、転がり込んだ先は、女の家と来たもんだから、まさに平成の型落ち太宰治。今は、バイトもせずに、若い燕となって、毎日、ぼんやりとベイブレードに精を出しているらしい。

 

 音楽に関してはもはやオタク、を超えた博学、俺が偉そうにひけらかしてるバンドのほとんどが、実はカニちゃんが教えてくれたもの。音楽と女の話以外を振ると、大抵、ふーん、で終わるから、ほんと大変、楽。暗い笑み(クリーミー)に傾倒していて、ケータイの待受が、カワノサンからのメッセージ。本当に本当に好きなんだと思う。走ると馬みたいで、サッカーは後輩より下手くそだった、けど、絵とドロップキックは部員の誰よりもうまくて、うますぎて停学になって、頭が丸くなった、時もあった。今じゃすっかりサラ金ヘアー。

 

 荒削りすぎて、もう大根おろしじゃなくて、これただの大根じゃねぇか! って言いたくなるぐらい、の滅茶苦茶な音だとは思う。それをカッコ良さ、としてしまうのはなんか安直すぎるし、少し不安が残るから、今はまだ手放しで絶賛するんじゃなくて、優しく頑張れ、と言いたい。けど、俺は確かに感じてもいる。力任せの演奏の先に、かすかに見えている、枯れてしまった一輪の綺麗な花が。多分、カニちゃんはその届きそうで届かない花の美しさをどうしても歌にしたいんだろうなぁって、そのもどかしさが激情になってるんだろうなぁって。

 

 デモ音源とか、ライブ音源とか、をたくさん送ってくれるんだけど、これ以外にも、腐った友情というバイアス抜きで、本当にいい曲があってさ、特に観覧車って曲が俺はすごい好きで、早く音源化して欲しい。火星の敷地を買う人だっているぐらいなんだから、みんなも、Paleveinを聞いてみてよ。絶対、なんて絶対言えないけど。

 

 気になった人は是非札幌へ。今なら、綺麗なイルミネーションと、切ない雪が観れるよ。あとマフラーが似合う手垢のついた美女がいっぱい。おっぱい。

 

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https://palevein.webnode.jp/   ホームページ

 

 

 

 

雑感1

 

あの女の子の件は今週でカタをつける予定。まずは友達から。あぁでも、本当は、友達も彼女もいらねぇから、俺はセックスがしてぇだけ。うそ、手繋ぎたいわ。これも嘘。

 

雑感2

 

最近一番言われて嬉しかったことは、「ジーンズ似合うね、ベストジーニスト賞狙えると思う」。一番悲しかったのは、「前髪薄くね笑」(陰で)。親父と祖父はうすらハゲで、親父の弟はクリリンよりもつるっぱげだから、俺はハゲることが確定している。でももう来たかぁ。早いなぁ。一年。

 

雑感3

 

中間試験が終わった。今回は結構ちゃんと勉強したつもり。だけど、こういう時に限って、結果は散々なんだよな。煙草の銘柄変えようかな、さすがに飽きてきたなウィンストン。アメスピあたりに。

 

 

 

 

 

 

ベンチ外

 書くかどうか、結構迷ったけど、書く。

 

 

 昨日、いつものように夕方からバイトに行った。休日ということもあり、店はかなり混んでいた。オーダーが連続で立て込み続け、伝票が馬鹿みたいに増えて行く。ため息をつきながら、必死で食らいついた。

 

 こういう、クソ忙しい時は、三人でキッチンを回すのが常なのだが、昨日はマネージャーが、何をトチ狂ったのか、お偉いさん(マネージャーの上司?)とこっぴどく言い合いをし始め(何を言い合っていたのかは分からない)、オーダーが立て込み始めた途端に厨房から出て行ってしまった。残された、俺と、社員のおばさんは、二人でなんとかやろうとしたけど、限界があった。程なくして、マネージャーが戻ってきた頃には、もはや、何から手をつけていいのかわからないほどに、オーダが滞っていた。

 

 なんとか、全てのオーダーを片付け終え、ふと一息ついていると、マネージャーが俺に、「食材の補充をしろ」と言ってきた。生返事を返しつつ、補充を始めたのだが、すぐに、マネージャーが俺の方に近寄ってきて、「君、やる気ある?」と一言。「はい」とだけいうと、低い声で、「一応、俺歳上じゃん、なんかさっきから君の態度見てたら、返事が適当だったり、だるそうに動いたり、俺のこと舐めてるようにしか見えないだよね、すごく失礼じゃないか?」、これにも「はい」とだけ答えると、語気を強めて、「おい、俺の目を見て言え」と脅しのようなことを言ってきた。仕方なく目を見てやると、マネージャーは、じゃなくて大森は、思いっきりガンを飛ばし、俺のことを恐怖で、押さえつけようとしてきた。

 

 虚勢でもなんでもなく、ぶっちゃけ前のマネージャーの方が10倍怖かった。何より、そんなチンケな恐喝でなびくような人間に見られていることに腹が立ったし、自分の過失の腹いせというか、八つ当たりとしか思えない、その馬鹿丸出しの言動に俺は静かな憤りを覚えた。確かに、俺の昨日の態度は最低、最悪だったとは思う。だけど、そこは少しぐらい見逃して欲しかった。俺だって、バイトの分際でも必死に働いたんだ。それにお前だって、明らかに悪いじゃねぇか。連休明けで、なまってんのかしらねぇけどよ、テメェだって十分、やる気ねぇじゃねぇか、このクソ陰茎が!

 

 俺は大森の目を見ずに言った。「そんなこと言われるぐらいなら、もう辞めていいですか、10月いっぱいで辞めます」、すると大森は、キョトンとした顔をした後に、小さな声で、「そうしてくれ」と言った。やっぱり、なめられてた。俺みたいな背の低くて無口な男に、なめた態度とられたことが、よほど気に障ったんだろうな。ほんと、かわいそうな男だぜ、裏で、いろんな奴に悪口言われてたり、仕事ができない奴にだけやたらと厳しかったり、お前みたいなやつは人の上に立つ資格も、器もねぇよ、仕事のストレスでうつ病でも発症して、部屋で首でも吊ってさっさと死ね。ムカつくんだよ、バイトはお前の駒じゃねぇんだよ、金さえ払ってれば、なにしても、何言ってもいいと思ってんじゃねぇぞこの無能野郎が! そう言えば、お前、こないだ、従業員の定着化云々とか、働きやすい職場を目指すとか、偉そうにぬかしてやがったな、ザマァ見ろ、自分で墓穴掘ってんじゃねぇか、いくら無能なバイトでも、いるといないじゃ、全然チゲェンだよ、くそったれが。くそったれが、くそったれが。

 

 アルバイトを探してるそこのあなた、ファミレスでは絶対に働くな。本当に割にあわねぇ。もう一度言っとく、ファミレスでは絶対に働くな。

 

 と言いつつ、なんだかんだ、八ヶ月ぐらい働いたのか。思い返せば、嫌なことの連続だった。一難去ってまた一難。本当にそれだった。大嫌いだったデブのマネージャーがいなくなったと思えば、その意思を引き継いでいた吉田先輩と犬猿の仲になり、バイトの日がめちゃくちゃ憂鬱になった。それでも、人間性は鏡という、言葉を信じてやってみたら、なんとか良好な関係に修復できた。やっと、前向きな気持ちで働き始めたのも束の間、これだもんなぁ〜〜〜。もうほんと嫌になっちゃうな〜。また、歪んだは。また社会にねじ曲げられたは。たしか、緑色の髪の毛の男が言っていたよ「災難ってもんは畳み掛けるのが世の常」だって、俺はそんなかっこいいこと言えねぇ。「災難ってもんはできりゃあ最小限に留めて欲しいってのが、本の音」

 

 今のところ不安はあるけど、後悔はない。また派遣バイトに降格か。

 

youtu.be

ポカリ

頭の右側面についた寝癖が全然なおらなくて、というのはどうでも良いとして、昨日、ものすごく奇妙な体験をしたので今日はそのことについて書き下す。かなり長くなると思うから、暇すぎて死にそうな時に読んでくれればいいと思う。

 

一昨日はその前日に公園で独り飲んだ酒のせいか、朝起きると悪寒と頭痛がした。でも我慢できる程度のものだったので、寝れば治るだろうと思って、いつものごとくブックオフへ行ったりして、一日を無為に過ごした。少しずつおさまってくるだろうと高を括っていた頭痛と悪寒は夜になっても一向におさまらず、それどころかどんどんと痛みと寒気がひどくなっていた。寒くて寒くてなかなか寝付けなかったが、12時前には眠りに落ちたと記憶している。

 

ここからが本題の話になる。

 

午前2時ぐらいだったと思う、夢の中で俺は死に直面していた。その時の夢の中の状況がどういうものだったかはよく思い出せないけど、確かに死が俺の目の前にあった。誰かに殺されそうになっているという感じでも、自殺しようとしている感じでもなかった。一番近いような感じがするのは、深い海で溺れているような感じだった。致命傷を負っている感じも近い気がする。ナイフで急所を刺された後みたいな。夢の中で何十秒かうなされて、パッと目が覚めた。これだけなら、アニメとか映画とかで主人公がよくやるシーン(汗びっしょりになって「はぁ、はぁ」とか言ってさ)なんだけど。この時は目を開けても、夢の意識が完璧に続いていた。客観的に言うならば、いつもあるはずの現実と夢の境がこの時だけはなかった。

 

起きても死が俺の頭を支配していた。でも、なんで自分が死に際にいるのかは意識しなかった。これはなんだか変な感じがするけど、考えてみると、生き物は予期せぬ死に直面すると、そんなことはどうでもよくなるのではないか。もう少しで死ぬという恐怖で心が満たされて、どうにか生き抜こうともがき苦しむのではないか。昔、虫かごの中に大きな蜘蛛を入れて、殺虫剤を少しずつかごの中に噴射したことがある。その時、蜘蛛は信じられないほど強く動いた。ガラスが割れてしまうんじゃないかと思ったが、徐々に弱っていて、ついにピクリとも動かなくなった。

 

自分がもう少しで死ぬと思うと本当に泣きたくなった。大声で叫び出しそうになったのをぐっとこらえて、何を思ったか俺は玄関へ向かった。扉を開け、どこへ行けば生きれるのかと、一瞬だけ思考を巡らせたが、どこへ行っても死ぬような気がして、目の前にあった塀をよじ登って向こう側の道へ降りて、何もない暗闇の中でうずくまった。その時は全くわからなかったけど、今思うと、この時に、幻覚が解けたんだと思う。でも、怖すぎるのと長すぎるので、頭が麻痺して幻覚が解けたことを全く意識しなかった。何十秒かして、部屋に戻って、まず最初に無意識のうちに自殺者相談センターみたいなのに電話をかけようとした。これは前から知っていたから無意識のうちに行動できたんだと思う。でもこのせいで、自分は自殺しようとしていたんだと錯覚した。自殺相談電話は16時半までしかやっていなくて、死のようとしてるやつが日中に電話かけるかよと思いながらも、俺は深い孤独を感じた。

 

その後すぐにカニちゃんに「助けて」とラインをした。すると、2時過ぎだというのに1分もしないうちに向こうから電話がかかってきた。わけのわからん今の自分の状況を必死で説明しようとしたけど、うまく言えなかった。ただ「怖い」を連呼していたと思う。それでもカニちゃんは眠そうな声で聞き手に回ってゆっくりと対応してくれた。話をしているとだんだん落ち着いてきて、急激に眠たくなってきた。でも寝たらまたあの恐怖に晒されるような気がしてちょっと怖かった。40分ぐらい喋って、また眠りについた。寝る前はあんなに寒かったはずなのに、暑くて汗まみれになって、浅い眠りを繰り返して、何度かトイレへ行って下痢をした。

 

8時ぐらいに目が覚めて起きたけど、寝た感じが全くしなかったし、起きた感じもしなかった。頭が重くて霧に包まれてるみたいだった。頭痛が鋭くなっていて、悪寒も震えるほどひどくなっていた。熱を測ってみると、38度2分あった。病院に行くしかねぇなぁと思いながら深夜に体験した夢の恐怖を頭の中で反芻した。病院に行ったら、胃腸炎と言われた。先週食った焼肉が原因なのか、日頃のストレスが原因なのかは定かではないが、30分に一回の排便ならぬ排下痢が俺のケツと心を擦り減らしていった。食欲も全然なくて、パンを一口食っただけで、吐きそうになった。それでも薬を飲むと、一気によくなっていて、吹き出すようにして食欲が湧いてきてお茶漬けを食べた。一週間ぐらい連絡を取り合っていなかったのに、なぜかその日に限って笹尾がラインをよこしてきて、買ったはいいが調理の仕方がわからないからと鱈の切り身を持ってきてくれた。下痢野郎に魚はまずいんじゃねぇのかと思ったが、この笹尾のあまりに偶然すぎる、そしていかにも笹尾らしいファインプレーにちょっとうるっときたとみせかけて、ドーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。

ムニエルにして美味しくいただきました、おいじがっだ、ありが十匹。

 

熱が下がったし、テストがあったので今日は学校へ行った。あの恐怖と未だに残る腹痛で、今日はありとあらゆるものに腹が立って、かかとを踏んできた男に舌打ちをしたり、知り合いにめちゃくちゃ冷たく接したりしてしまった。腹が痛い。でもなまら腹が減ったので今からなめ茸チャーハンを作って独りで食べようと思う。

 

この曲、昨日偶然知ったけど昨日と今日だけで何回聞いたか分からない。歌詞は俺のサイズにぴったりだし、イントロは本当に凄まじいな。腹減った。

youtu.be

 

 

 

 

 

負けて自棄酒、空はさめざめ

昨日は柄にもなく大学祭の打ち上げに参加し、羽目を外してお酒を飲んだ。そして、俺は昨日初めてお酒の本当の魅力を知った。なんだか、これは絶対に書かなければいけないような気がするのでコタツに入りながらタラタラとブログに書きつける。

 

俺はあんまり、というか全然酒に強くない。初めてちゃんと飲んだお酒はほろ酔いで、一本飲んだだけで猿みたいに顔が真っ赤になって千鳥足になった。その時は美味しいのか美味しくないかもよくわからなかったし、俺って酒に強くねぇなぁと思ったりもして、ちょっと悲しくなった。酒に強い人が単純にカッコいいって思ってる俺はバカ男かもしれないけど、まぁそんなんどうでもいいや。

 

で、次に飲んだのはカニちゃんと遊んだ時で、わる〜いカニちゃんはコンビニで堂々とお酒を買い、その上それを俺に飲むように言ってきたのだ。もうこれは死刑ですね、酌量の余地なし。んで眠たい目をこすりながらお酒を飲んだら、なぜだか前より少し美味しく感じた。相変わらず顔は赤くなったけど。翌日の夜は公園でブランコに揺られながら二人でお酒を飲んだ。ちなみにこの時に俺は初めてタバコの吸い方を覚えて、お酒とダサカッコつけた自分に少し酔っていた。

 

前置きはこれぐらいにしてイエスタデイのことを書くとしよう。昨日の打ち上げには、まだあんまり仲良くない同期とか、名前も分からない先輩とか、綺麗でお上品な女性とかがたくさん来ていた。なおかつ、四日間雑踏のストレスに揉まれたからか、いざ会場に行ってみると、場のいかにも大学生という雰囲気に飲まれて少し憂鬱になった。それに俺は、打ち上げの直前である失態を犯して、肩身が狭くなっていた。

 

大祭の店長と副店長にメッセージカードを書いて打ち上げの時にそれをサプライズで渡すっていうのがこのサークルの伝統らしく(伝統ならばサプライズにはならないだろうが!矛盾してるじゃねぇかよこのサブカル野郎!、ハイ論破!)、新参者の俺もそれを書いて打ち上げまでに担当の先輩にこっそりと渡すようきつく言われていたのだが、ぼけっとしていたボケな俺はあろうことか店長と副店長がいる目の前で担当の先輩にメッセージカードを渡してしまった。渡した時の先輩の反応が妙に冷たくてなんかおかしいなぁと思ったんだけど、ラインで怒られるまで気づかなかった。怒られたけど、自分で自分を笑ってしまった。

 

まぁそんなこんなで、あくまで飯代を浮かすためだけだと自分に言い聞かせて、全く酒なんか飲まないつもりで参加したのだが、前に座った笹尾という大学で唯一本音で話せるダチがバカみたいに酒を飲み始めて、それにつられる形で俺も飲み始めた。

 

最初は周りを気にしてピッチを抑えていたんだけど、いつもの5倍ぐらい饒舌になるわ、自然に女子に話しかけれるわ、声は大きくなるわで、どんどん楽しくなってきて、もう本当に楽しくなってきて、と同時に日頃の溜め込んだ鬱憤がふつふつとこみ上げてきて、時を経るごとにピッチが早くなっていった。

 

同期の同じパートでめちゃくちゃモテる女の子がいるんだけど、その子目当てで店に来る男が大祭のとき何人もいて、人脈ゼロダチ少々の俺は羨望を通り越して本当に驚いた。本当に世の中にはモテる人間がいるんだなぁとしみじみ感じた。そして俺は勝手にその子に人間としての一種の敗北感のような劣等感を感じていた。俺は完全に人間としてその子に負けていた。押さえつけていた多くの劣等感がアルコールによって引き出され、それに呼応するようにして、酒が美味く感じてきた。飲んだ一瞬は気持ちいいんだけど、すぐに憂鬱になってきて酒が美味くてまた飲むみたいな繰り返しだった。

 

いつのまにか笹尾は完全に酔っ払っていて、頻繁に頭をかきむしながら終始にやついていた。俺のいた机は俺と笹尾を含めた同期5人で、この5人と先輩二人で大祭の四日間演奏をした。(モテる女の子もこの五人の中に含む)もちろん何回も5人で練習した。こういうことをするとすぐに俺はサッカー部だった昔の癖で変なチーム意識がついてしまって、普段の根暗を封印して仲良くなろうと努力するのだが、昨日はそれが酒の力でスムーズに行えて本当に楽しかった、もしかしたら今年一番かもしれない。五人の中で俺と笹尾だけが酔っていて若干浮き気味(笹尾は女子二人にちょっと白い目で見られていた)だったけど、みんな楽しそうで普段は言えないことも笑いながら言っていて、なかなかよき雰囲気だったと思う。お酒の力があれば女子と普通に話せることを俺は知った。

 

ロースタートだった打ち上げだったが、終わってみればめちゃくちゃ楽しんでる自分がそこにいた。外に出ると風が冷たくて、「夜風に当たってこい」っていうセリフを身を以て感じながら、またしても憂鬱になりかけた俺は勢いで見知らぬ先輩だらけの二次会にドランク笹尾と参加した。本当に酒が飲みたいだけだった。二次会で出身が同じ先輩と話すことができてちょっと嬉しかった。ドランク笹尾は途中で完全に潰れてしまい何回かトイレについていった。鏡に映った俺の顔はバカみたいに紅潮していて、笹尾の顔は異常なほどに血の気がなかった。あのコントラストを思い出してブログを書きながら笑ってしまった。

 

おひらきになるとドランク笹尾を家まで送ってあげた。これが女だったらドミノピザなのになぁ〜なんて思いながら空を見上げると異常に星が綺麗でさめざめで、笹尾は電柱に手をつけて、酸っぱそうなよだれをだらだらと排水口に垂らしながら、「つわりだぁ」と弱々しい声を漏らしていた。その光景がバカみたいにエモくて、これは絶対に思い出になるなぁとそのとき確信した。無性に音楽が聴きたくなって、笹尾を家まで送り届けると、イヤホンをつけて自転車を爆走させて家に帰った。途中で頭がめちゃくちゃ痛くなってきて、歌を歌っても誤魔化せなくて、でも、なんかすごく冷たい空気と今の感情が気持ちよくて、自然と自転車のスピードが上がっていた。家に着くと、シャワーだけ浴びて歯を磨かずにすぐに寝た。明日の一限出れんのかなぁとまどろみながら。

 

今朝起きると、頭がすごく重かった。昨日の記憶が異常にぼやけていて、自分の言動を思い返して、少し嫌な汗をかいた。また自棄のお酒が飲みたいな。

youtu.be

 

 

自分を笑った

 部屋の掃除をしたり、実家から送られて来た荷物を整理したり、ユーチューブを見たり、本を読んだり、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、小説を書いたりと今日はほとんど家の中にいた。夜は肉が食べたいなと思い、夕方に駅の近くのスゥーパーヘ半袖短パンおまけにサンダルという本州の秋をナメきった格好で行ったら結構寒かった。肉のコーナへ行くとサークルの先輩がいたので、炊き込みご飯のところで時間を潰した。何気なく手に取った鶏ごぼうご飯が美味しそうで気づいたらカゴに入れてしまっていた。その後肉とその他諸々を購入し家に帰った。地元はひどい雨らしいが、すぅんとする風の冷たさと弱々しい鈴虫の鳴き声に二度目の秋を感じてしまった。気分によって聴きたくなる曲が違うのは当たり前だが、季節によっても聴きたくなる曲は違うと思いけり。

最近カップルを街中などで見かけると、非常に羨ましいなぁと思ってしまう。寂しさを紛らわすための道具として彼女が欲しいわけでは決してなく、ただただ自分の話を聞いて一緒に笑ってくれるってだけで幸せだろうなぁと思うのである。モテ期ってあんの?とこないだ母に聞いたら、あんたはまだ一回も来てないんだからこれからあるに決まってるでしょと言って笑っていた。ほんとかよ母ちゃん、一回も来ないってことはないのかい、本物のサンタクロースのように。

人肌恋しく

枕に顔をうずめれば

鼻刺す匂い アンモニア

 

自分を笑った サンタクロースは信じる子供のところにしか来ないんだよ。

John Frusciante

君にとってのギターヒーローは誰?と問われたら、俺はコンマ何秒かでジョンフルシアンテと答える。というかもう、俺にとってのギターヒーローは彼しかいない。

 

ジョンフルシアンテは元レッチリのギタリストで、プレイスタイルや音色が似ていることから白いジミヘンと呼ばれたりもする。レッチリの全盛期を支えた人物で、現代三代ギタリストの一人でもある。薬物で廃人になり、一時期は全ての歯が抜けてしまうほどのところまで堕ちた人物。今回は完全に俺得な内容だがどうか許していただきたい、懐かしい思い出に浸りながら、音楽と共に彼の変遷を少しばかり紹介したいと思う。

 

1989年、オーバードーズで死んでしまったヒレルスロバクの後釜として、当時18歳だったジョンはレッチリに加入する。

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これは1990年に録られたライブ映像で、ピチピチのジョンがTiny Dancerを歌っている。エルトンジョンのカバーなのだが、俺は本家より断然こっちが好き。ジョンはよくライブでカバー曲を披露する、もう一つお気に入りのカバーあるので最後に紹介しようと思う。いや、それにしてもジョンが若い、めちゃくちゃイケメンだし、ギターの音もいい感じで枯れていて気持ちがいい(アンソニーはこの頃から変な動き)。

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そんでこれがいわゆる初期のレッチリヒレルのコピーに近い感じがして、のちに言われるようになるジョンらしさはまだあまり見られない。初期のレッチリはThe Funkというような曲が多く、ジョンのカッティング技術が光っている。ギターの位置がめちゃんこ低い、よく弾けんなーカッケェよジョン、俺には無理。1989年にアルバム『Mother Milk』でレッチリは少しずつ売れ始める。そんで1991年にリリースされた『Blood Sugar Sex Magic』がブレイク作品となり、レッチリの名は世界に知れ渡るようになる。



このアルバムの中に入っている一曲でUnder the Bridgeという曲がある。この曲は病むと必ず聞きたくなる曲で、もう何度聞いたか分からない。親が大嫌いで家の中で一言も喋らなかた中学三年の冬も、クラスで孤独だった高二の時も、独り暮らしを始めたばかりの頃も、孤独感を覚えた時はいつもこの曲にすがりつてきた。その度に沈んだ俺を優しく慰めてくれて、もし、この曲がなかったら俺は犯罪者になってたかもしれないと思う時がある、本当にありがとう。色々なバージョンがあってどれもいいのだが、中学の頃に何度も何度もリピートしていたバージョンを紹介する。この時はUnder the Bridge以外の曲を聞いていなかった。聞きたくて聞きたくて仕方なかったのだ、もうほとんど麻薬に近く、聞くたびにこの曲に依存していった。

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感傷まみれ、涙まみれ、300回は聞いてるはずなのに全く飽きが来ない、本当の名曲は永遠に色褪せない、何度聞いても泣けてくる。この動画には見落としてはいけないポイントが一つあるのだが、もうお気づきだろうか。1分5秒のところを見てほしい、驚くべきことにジョンがピックを落としているのだ。にもかかわらずアンソニーも、ジョンも平然と演奏を続けている、むしろピックを落としてからギターの音が良くなったようにも聞こえる。プロなんだから当然じゃん、とは言うことなかれ。お互いを信頼しきっていて、なおかつ、心の底から演奏を楽しんでなければできない離れ業である。



余談になるが、Under the Bridgeは俺が人生初のライブで演奏した思い出深い曲でもある。カニちゃんと二人でやった人生初のライブはセンター試験よりも、部活の公式戦よりも緊張した。頭が真っ白になって、何度も練習したはずのフレーズを思うように弾けなかった。カニちゃんも俺と同じようにめちゃくちゃ緊張していたらしく歌詞を飛ばしてしまった。演奏が終わると俺は疲弊しきってしまって、友達の温かい言葉に耳を傾ける余裕もなかった。今思えば最高のライブだったのだが、当時の俺は演奏に納得がゆかず、そのライブの後の帰り道で、カニちゃんにバンドを解散しようと口走ってしまった。それを聞いてカニちゃんはちょっと泣いていた。なんてアホなんや俺は、力一杯ぶん殴ってやりたい。降る雪を受け止めながら二人でトボトボ薄暗い道を歩いた。



すまない話を戻そう。


1992年、世界ツアーでの来日中ジョンは薬物依存が原因で帰国後、脱退してしまう。廃人と化したジョンの貴重な映像が残っている。

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正直言って怖い、これこそ堕ちるとこまで堕ちったって感じ。その後ジョンは薬を買うために自分のギターさえも売るようになる。心配した友人たちががジョンをリハビリ施設へ連れて行き、2年に及ぶリハビリの末、見事復活に成功する



1999年、ジョンはレッチリに復帰しアルバム『Californication』をリリース、このアルバムがレッチリ最大のヒット作となる。このアルバムの中で一番好きな曲はScar Tissue、ジョンらしさ全開でギターが枯れまくってる。アンソニーのメロディセンスとリリックのセンスも最高すぎる。

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レッチリはMVよりもライブ映像の方がはるかにカッコイイ。アドリブを入れたり、ジャムをしてくれたり、裸になってくれたり、頭から火を出してくれたりとサービス精神が絶えない。

2002年、アルバム『By the way』をリリース。これもまた大ヒットする。このアルバムからは少しマイナーなTearという曲を紹介する。

youtu.be

悲しい曲だなぁ、沁みる。

そんでもって、2006年にアルバム『Stadium Arcadium』をリリースし、収録曲であるDani CaliforniaとSnow(Hey oh)が映画デスノートの主題歌として使われ、日本でもレッチリを知る人が多くなる。


ちょうどこの時に俺もレッチリと出会った。当時俺は小学六年生で、オレンジレンジとか、ケツメイシとかナルトの主題歌だとかを聞いていた(ほんと、今じゃ考えられない、あの頃の俺は純粋だった)。ある日、母親とツタヤに行った時、大きなモニターで、デスノートの予告が流れていた。映画も面白そうだったのだが、それよりも俺を惹きつけたのは映像と共に流れている曲だった。聞いた瞬間、ビビッときたのを今でも覚えている。それを聞いてすぐに、 母親にCDを買ってくれと頼み込んだ。しかし、如何せん曲名がわからなかったので、デスノートのCDをくださいと店員に言った。そうして、買ったCDがSnowのシングルで、実は予告編で聞いた曲とは違うものだったのだ。めちゃくちゃ落ち込んで、帰りの車の中で母親に八つ当たりしてしまった。俺がツタヤで聞いた曲はデスノートの前編の主題歌である、Dani Californiaで、Snowは後編の主題歌だったのだ(誰も悪くない)。後にそのことが分かり、Dani californiaのシングルも買うことができた。間違えて買ってしまった Snowのシングルだったが、何気なく聞いているうちにどんどん好きになっていってしまった。そして今では、大好きな曲の一つである、奇妙な出会いだった。

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Snowのアウトロは本当に神がかってる、イントロがやばいのは言わずもがな。

ここまで読んでくれた人はたぶん変人、てか俺が変人こんな長いブログ初めて書いた。

同シングルからもう一曲、Funny Face いい顔してるよジョン。

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この曲はSnowのシングルにしか収録されてない知る人ぞ知る名曲で、嫌なことがあった日は、この曲を大音量で流しながら頭を狂ったように振ってる(オススメ)。



2007年、ジョンは自分の音楽を突き詰めたいという理由で再びレッチリを脱退する。時系列が逆になるが、ジョンは2004年からソロ活動を始めており、わずか一年で6つもアルバムを作った(分かる人にしか分からないやばさ)。最後に紹介するのは、John Fruscianteのアルバム『Shadows Collide with people』から、Second walk

youtu.be

この1分47秒という短い時間の中に、ジョンの全ての思いが詰め込まれているようで、走馬灯を見ているような気分になる。濃すぎるほど濃厚なのに全くクドくない、例えるなら、めちゃくちゃ濃いあっさりラーメン(何言ってんだコイツ)。

最後まで読んでくれてありがとう、書くのが楽しくてしょうがなかった。

 

 

 

おまけ

youtu.be

Eva cassidyの曲であるSong birdのカバー、泣ける。

 

紹介しきれなかったレッチリとジョンのオススメ曲一覧

レッチリ

Tell Me Baby、Soul to Squeeze、Otherside、Wet Sand、Make You Feel Better、

Hard to Concentrate、Right on Time、The Longest Wave、Dark necessities

ジョン

Scratches、Dying Song、Look on、This Cold、Time Tonight、Carvel、Mistakes

 

ルサンチマン

北朝鮮のミサイル飛んできたーとかアラームうるせぇよ死ね、みたいな内容のツイートしてるやつってなんなんすかね。たぶん俺と脳みその構造が根本的に違うんだろうなぁ〜、かく言う俺もこうしてブログを書いているんだけれどもね。何が言いたいかってね、ツイッターは本当に言いたいことが言えないってことを言いたい(ややこしいわカス!)実は俺、過去にとんでもない病みツイートをしてしまいフォロワーをドン引きさせたことがある。今回はそのことについて少し書きたいと思う。いや、書かせろクソったれ。

 

今年の春から俺は親元を離れて一人暮らしを始めた。人生初の一人暮らしということもあり最初はワクワクと不安で胸がいっぱいおっぱいだった。でも、なんとかなるしょw余裕余裕、オナニーし放題じゃんと自分に言い聞かせ、なんだかんだで一人暮らしを楽しんでいる自分がいた。家の手伝いといったらゴミ出しと雪かきとマスかきぐらいしかしたことがなかったクソ雑魚ナメクジの俺は米の炊き方すら知らなかった。分からないことだらけだったし新たな環境に適応するのに必死すぎて4月は寂しさを感じる暇もなかったんだと思う。


ツイッターも一人暮らしを始めるのとほぼ同時期にやり始めた。この時のツイートといったら大衆受けを狙った自嘲気味のギャグツイートでフォロワーの数もこの時が一番多かった(ゆーても40人ぐらい)。新鮮さはすぐに慣れに変わりゆくのが世の道理で、一人暮らしも慣れてくると恋の始まりのような高揚感はリトルバイリトルなくなってゆくし、最初は受けのよかったギャグツイートも次第に飽きられていった。大学生活に期待なんかしてねぇよと口では言っていたものの、頭の片隅では可愛い女子大生を家に連れ込む妄想を繰り広げていた。期待した時に限って裏切られるのもよくあることで、現実の大学生活といえば、平日はたいして面白くない授業を糞真面目に受け、休日は暗い部屋にこもってアニメを見るか、本を読むか、アニマルビデオ見るか、サークルの女の子はピンとこないし友達はできないし、みたいなそれはそれは凄惨たるもだった(たまーに山登って大学生っぽいこともやったけどさ)

事件は5月に起こる。

 

ゴールデンウィークで予定が入っている日が1日しかなかった俺は、近所のブックオフに意味もなく行ったり、スーパーで涼んだり、チャリで近くにある大きな公園にこれもまた意味もなく行ったりして大学一年生の二重の意味でのゴールデンウィークを浪費した。ほんと今考えてみるとホームレスみたいなことをしていたと思う。分かる人にしかわからないと思うんだけど、人って誰かと喋らないとダメになっていくんだろうね。一人でいると考え込むことが多くなるし溜まっていくんだよ(奥さん、最近ご主人とはご無沙汰なんだろう。それじゃあれかい専らオナニーかいオナニーなのかい、どうなんだい溜まってるんだろ〜う)。おっふんおっふん(咳払い)失礼しました話を元に戻しましょう。


そんな文字通りクソみたいな生活を送っていると、だんだん孤独感と自己嫌悪に苛まれるようになり、正確な日付は忘れたが、5月のある日、溜め込んだ日々の鬱憤が爆発し、過去の嫌な思い出や自分の悩みに関する長々ジメジメしたツイートを深夜にしてしまったのである。自暴自棄とはまさにこれのことで、悔やんでも悔やみきれない(チープだよねこのセリフって)。まぁ、その後このツイートを見て僕のことを心配してくれた、もしくは、哀れんでくれた心やさしき二、三の人間から励ましの言葉を頂戴し、なんとか立ち直った(ありが10)。

 

安定軌道に入ったかに思えた俺の精神だったが、その事件の後も、鬱憤が爆発しツイッターを止めようとしたことが二度あった。そして昨日めでたく三度目を迎えたが、未だにやめれてない。ツイッターってスンゲェ嫌いなんだけど、そんなこと言いながらツイッターをやめることができない自分がもっと嫌い。

カップルの記念日ツイートを見ると狂的に笑ってしまうし、友達同士の旅行ツイートとかをみても、へぇ〜こいつらって俺と違っていっぱい友達いるんだ〜って思ってなんか悲しくなってしまう俺はツイッター不適合者なんだろう。いいねを本当にいいねと思って押すことなんてほとんどなくないですか、それともあなたは本当にカップルの幸せそうなツイートを見ていいねと思っているんですか?あなたは俺のことを狂人と呼ぶかもしれないけど、俺から見ればあなたの方がよっぽど狂人ですよ。あと、病んでいる人に〇〇病んでるけど大丈夫ーって聞いてくるやつ、何も分かってねぇんだな。そんなこと聞くんじゃねぇよアホカス、ファック。

 


ツイッターは軽い気持ちでやるものハハ

何にも見えないハハハ