décadence

日記のような、短編のような、詩のような、俺

John Frusciante

君にとってのギターヒーローは誰?と問われたら、俺はコンマ何秒かでジョンフルシアンテと答える。というかもう、俺にとってのギターヒーローは彼しかいない。

 

ジョンフルシアンテは元レッチリのギタリストで、プレイスタイルや音色が似ていることから白いジミヘンと呼ばれたりもする。レッチリの全盛期を支えた人物で、現代三代ギタリストの一人でもある。薬物で廃人になり、一時期は全ての歯が抜けてしまうほどのところまで堕ちた人物。今回は完全に俺得な内容だがどうか許していただきたい、懐かしい思い出に浸りながら、音楽と共に彼の変遷を少しばかり紹介したいと思う。

 

1989年、オーバードーズで死んでしまったヒレルスロバクの後釜として、当時18歳だったジョンはレッチリに加入する。

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これは1990年に録られたライブ映像で、ピチピチのジョンがTiny Dancerを歌っている。エルトンジョンのカバーなのだが、俺は本家より断然こっちが好き。ジョンはよくライブでカバー曲を披露する、もう一つお気に入りのカバーあるので最後に紹介しようと思う。いや、それにしてもジョンが若い、めちゃくちゃイケメンだし、ギターの音もいい感じで枯れていて気持ちがいい(アンソニーはこの頃から変な動き)。

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そんでこれがいわゆる初期のレッチリ、ヒレルのコピーに近い感じがして、のちに言われるようになるジョンらしさはまだあまり見られない。初期のレッチリはThe Funkというような曲が多く、ジョンのカッティング技術が光っている。ギターの位置がめちゃんこ低い、よく弾けんなーカッケェよジョン、俺には無理。1989年にアルバム『Mother Milk』でレッチリは少しずつ売れ始める。そんで1991年にリリースされた『Blood Sugar Sex Magic』がブレイク作品となり、レッチリの名は世界に知れ渡るようになる。このアルバムの中に入っている一曲でUnder the Bridgeという曲がある。この曲は病むと必ず聞きたくなる曲で、もう何度聞いたか分からない。親が大嫌いで家の中で一言も喋らなかた中学三年の冬も、クラスで孤独だった高二の時も、独り暮らしを始めたばかりの頃も、孤独感を覚えた時はいつもこの曲にすがりつてきた。その度に沈んだ俺を優しく慰めてくれて、もし、この曲がなかったら俺は犯罪者になってたかもしれないと思う時がある、本当にありがとう。色々なバージョンがあってどれもいいのだが、中学の頃に何度も何度もリピートしていたバージョンを紹介する。この時はUnder the Bridge以外の曲を聞いていなかった。聞きたくて聞きたくて仕方なかったのだ、もうほとんど麻薬に近く、聞くたびにこの曲に依存していった。

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感傷まみれ、涙まみれ、300回は聞いてるはずなのに全く飽きが来ない、本当の名曲は永遠に色褪せない、何度聞いても泣けてくる。この動画には見落としてはいけないポイントが一つあるのだが、もうお気づきだろうか。1分5秒のところを見てほしい、驚くべきことにジョンがピックを落としているのだ。にもかかわらずアンソニーも、ジョンも平然と演奏を続けている、むしろピックを落としてからギターの音が良くなったようにも聞こえる。プロなんだから当然じゃん、とは言うことなかれ。お互いを信頼しきっていて、なおかつ、心の底から演奏を楽しんでなければできない離れ業である。余談になるが、Under the Bridgeは俺が人生初のライブで演奏した思い出深い曲でもある。カニちゃんと二人でやった人生初のライブはセンター試験よりも、部活の公式戦よりも緊張した。頭が真っ白になって、何度も練習したはずのフレーズを思うように弾けなかった。カニちゃんも俺と同じようにめちゃくちゃ緊張していたらしく歌詞を飛ばしてしまった。演奏が終わると俺は疲弊しきってしまって、友達の温かい言葉に耳を傾ける余裕もなかった。今思えば最高のライブだったのだが、当時の俺は演奏に納得がゆかず、そのライブの後の帰り道で、カニちゃんにバンドを解散しようと口走ってしまった。それを聞いてカニちゃんはちょっと泣いていた。なんてアホなんや俺は、力一杯ぶん殴ってやりたい。降る雪を受け止めながら二人でトボトボ薄暗い道を歩いた。

すまない話を戻そう。

1992年、世界ツアーでの来日中ジョンは薬物依存が原因で帰国後、脱退してしまう。廃人と化したジョンの貴重な映像が残っている。

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正直言って怖い、これこそ堕ちるとこまで堕ちったって感じ。その後ジョンは薬を買うために自分のギターさえも売るようになる。心配した友人たちががジョンをリハビリ施設へ連れて行き、2年に及ぶリハビリの末、見事復活に成功する。

1999年、ジョンはレッチリに復帰しアルバム『Californication』をリリース、このアルバムがレッチリ最大のヒット作となる。このアルバムの中で一番好きな曲はScar Tissue、ジョンらしさ全開でギターが枯れまくってる。アンソニーのメロディセンスとリリックのセンスも最高すぎる。

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レッチリはMVよりもライブ映像の方がはるかにカッコイイ。アドリブを入れたり、ジャムをしてくれたり、裸になってくれたり、頭から火を出してくれたりとサービス精神が絶えない。

2002年、アルバム『By the way』をリリース。これもまた大ヒットする。このアルバムからは少しマイナーなTearという曲を紹介する。

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悲しい曲だなぁ、沁みる。

そんでもって、2006年にアルバム『Stadium Arcadium』をリリースし、収録曲であるDani CaliforniaとSnow(Hey oh)が映画デスノートの主題歌として使われ、日本でもレッチリを知る人が多くなる。ちょうどこの時に俺もレッチリと出会った。当時俺は小学六年生で、オレンジレンジとか、ケツメイシとかナルトの主題歌だとかを聞いていた(ほんと、今じゃ考えられない、あの頃の俺は純粋だった)。ある日、母親とツタヤに行った時、大きなモニターで、デスノートの予告が流れていた。映画も面白そうだったのだが、それよりも俺を惹きつけたのは映像と共に流れている曲だった。聞いた瞬間、ビビッときたのを今でも覚えている。それを聞いてすぐに、 母親にCDを買ってくれと頼み込んだ。しかし、如何せん曲名がわからなかったので、デスノートのCDをくださいと店員に言った。そうして、買ったCDがSnowのシングルで、実は予告編で聞いた曲とは違うものだったのだ。めちゃくちゃ落ち込んで、帰りの車の中で母親に八つ当たりしてしまった。俺がツタヤで聞いた曲はデスノートの前編の主題歌である、Dani Californiaで、Snowは後編の主題歌だったのだ(誰も悪くない)。後にそのことが分かり、Dani californiaのシングルも買うことができた。間違えて買ってしまった Snowのシングルだったが、何気なく聞いているうちにどんどん好きになっていってしまった。そして今では、大好きな曲の一つである、奇妙な出会いだった。

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Snowのアウトロは本当に神がかってる、イントロがやばいのは言わずもがな。

ここまで読んでくれた人はたぶん変人、てか俺が変人こんな長いブログ初めて書いた。

同シングルからもう一曲、Funny Face いい顔してるよジョン。

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この曲はSnowのシングルにしか収録されてない知る人ぞ知る名曲で、嫌なことがあった日は、この曲を大音量で流しながら頭を狂ったように振ってる(オススメ)。

2007年、ジョンは自分の音楽を突き詰めたいという理由で再びレッチリを脱退する。時系列が逆になるが、ジョンは2004年からソロ活動を始めており、わずか一年で6つもアルバムを作った(分かる人にしか分からないやばさ)。最後に紹介するのは、John Fruscianteのアルバム『Shadows Collide with people』から、Second walk

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この1分47秒という短い時間の中に、ジョンの全ての思いが詰め込まれているようで、走馬灯を見ているような気分になる。濃すぎるほど濃厚なのに全くクドくない、例えるなら、めちゃくちゃ濃いあっさりラーメン(何言ってんだコイツ)。

最後まで読んでくれてありがとう、書くのが楽しくてしょうがなかった。

 

 

 

おまけ

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Eva cassidyの曲であるSong birdのカバー、泣ける。

 

紹介しきれなかったレッチリとジョンのオススメ曲一覧

レッチリ

Tell Me Baby、Soul to Squeeze、Otherside、Wet Sand、Make You Feel Better、

Hard to Concentrate、Right on Time、The Longest Wave、Dark necessities

ジョン

Scratches、Dying Song、Look on、This Cold、Time Tonight、Carvel、Mistakes